土曜日, 2月 17, 2007

「ゴールデン⋅ファイアー」




ニューヨークでの「ゴールデン⋅ファイアー」展覧会も無事終わりました.ご覧のように、特注の雲肌麻紙を柱にはり、紙の可能性とその空間を作る作業の模索でもあります。プラチナ泥と金泥を使って、生の和紙に描きました。

「ゴールデン⋅ファイアー」は3年かけて描いた、金箔を使って、炎を描く大作です(奥、左にある200号の作品)。

次は、Susie Ibarraという前衛的ジャズの音楽家とのコラボをIAMのコンフェレンスで行います.彼女は秋にはカネギーホールでシンフォニーをデビューするという事で、そのときもビジュアルをバックに提供します。

ニューヨークにて、2月

マコト

土曜日, 10月 21, 2006

オノヨーコ氏との出会い

The City of London Festivalで日本をルーツとする作家としてオノヨーコ氏とともにこの夏展覧会をしました。彼女はセイントポール教会で、そして私はオールハロウ教会でインストレーションをしました。この映像は彼女のイベントに招かれたとき、わざわざ「アーチストからアーチストへの祝福」を祈り、鶴を折ってくれたひとときをとらえたものです。

私の作品は「契約の箱」を題とした、私の3人の子供たちの「肖像」にビデオを加えたインストレーションでした。かつて、佐藤美術館でもおなしテェーマで作品を回顧展の一部として出したことがあります。

マコトフジムラ


金曜日, 12月 16, 2005

原宿でのコラボレーション




無事昨日ニューヨークに戻りました。クリスマスの光であふれている12月のニューヨークは輝いています。ニューヨークの回復もやっと目に見えてきたように感じます。

原宿でのコラボレーションにこられた皆さんに心から感謝いたします。新しい挑戦でいろいろと学び、又これからの制作につなげていきたいと感じました。何人の方から、脚本の内容を知りたいと言われ、ここにご提供します。

又、このイベントに関して、インタビューもしました。http://www.gaden.jp/info/2005/051207/1207.htm

これからもよろしくお願いします。




マコト・フジムラ パフォーマンス・アート 【第四稿】
(二〇〇五年一一月二一日 構成・石本興司)

《開場》※ 音楽演奏設備、画材(麻紙除く)はフロアに設定済
0 オープニング・アクト(約一五分 ※状況次第)
□ MCによるトーク(約一分)
《開演》
1「雪」(約四分)
2「十字架」(約三分)
□ ペインティング+音楽(約一〇分)
□ 俳優によるトーク(約二分)
3「竜と詩人」(約一〇分)
□ ペインティング+音楽(約一〇分? ※状況次第・このパートで絵画ほぼ完成)
□ 俳優によるトーク(約一分)
4「みみをすます」(約七分) ?終演
5 カーテンコール

0 オープニング・アクト

開場後、かりんによるオープニングアクト。
屋外階段の踊り場にて……。
ロビーにて……。
最終はメインフロア(要楽器用マイク)に移動し展開……。

アクト終了後、ほどなくMC(松田美樹、ハンドマイク)登場。

MC 本日はご来場、誠にありがとうございます。マコト・フジムラ、パフォーマンス・アート、まもなく開演致します。

舞台上のブースに音楽家(mamoru)がスタンバイ。

MC なお、本日は会場と演目の都合上、一部を除き、多くのお客様にはスタンディングによるご参加をお願いしております。何卒ご了承下さい。……また、携帯電話等、お手元の音の鳴る器具につきましては、只今より音の鳴らない状態にして頂きますよう、何卒ご協力お願い致します。……上演時間は約一時間を予定しております。……それでは、マコト・フジムラ、パフォーマンス・アート、開演です。

1 雪

音楽?。
明かりが、ゆっくりと変化していく……。

俳優(和泉ちぬ、ヘッドセットマイク)が、下手端にスタンバイ。

音楽が続く?。
俳優による朗読が加わる。「雪(三好達治)」をもとに自由に演じられる。

タ……、ロ……、ウ……、ヲ……、ネ……、ム……、ラ……、セ……

明かりにより、俳優の姿が浮び上がる。

タ……、ロ……、ウ……、ノ……、ヤ……、ネ……、ニ……
ユ……、キ……、フ……、リ……、ツ……、ム……

画家(マコト・フジムラ)とスタッフ数名が登場。
スタッフたちは雲肌麻紙(一八二×一二一センチ)四枚を運び込む。
中央に、隙間が十字架の形をなすようにセットした後、スタッフは退場。
画家は麻紙の中央に、横になり、縮こまる?。

ジ……、ロ……、ウ……、ヲ……、ネ……、ム……、ラ……、セ……
ジ……、ロ……、ウ……、ノ……、ヤ……、ネ……、ニ……
ユ……、キ……、フ……、リ……、ツ……、ム……

たろう……、じろう……、ゆき……、ねむらせ……、ねむらせ……
ゆき……、やね……、ふり……、つむ……、ふり……、ふり……、つむ……

明かりにより、横たわる画家も浮び上がる。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

2 十字架

明かりにより、床の下手から上手に「光の道」が浮び上がる。
音楽の調子が変化する?。

俳優が、上手に向かって、ゆっくりと歩み始める……。
朗読、「苦難にある者たちの告白(作者不詳)」より。

大事をなそうとして
力を与えてほしいと 神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

……俳優、上手の舞台上にたどりついている。
「光の道」が消え、俳優と、横たわる画家だけが浮び上がる。

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
人生を授かった

画家、ゆっくりと立ち上がる。

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で もっとも豊かに祝福されたのだ

音楽の調子が変化する?。
明かりにより、麻紙の隙間に「光の十字架」が浮び上がる。
俳優は退場。


3 竜と詩人

「光の十字架」が溶け、麻紙とその周辺が明るくなる。
画家による、雲肌麻紙へ絵を描く作業がはじまる?。


約一〇分間、画家と音楽家のみの作業が続く?。


俳優、登場。
上手エリアが明るくなる。

俳優 ……こんばんは。……今夜はお越し頂き、ありがとうございます。

……このパフォーマンスの大部分は、いわゆる「即興」で進行しています。……この日、この時間に、この場所で、私たち三人がお互いに影響を与え合いながら、少しずつ前に進んでいます。……もちろん、観客である皆様も大いに影響を与えています。

……私が最初に朗読させて頂いたのは、三好達治の「雪」という詩でした。これは二行詩と言って、たったの二行だけでできています。……二つ目は、「苦難にある者たちの告白」という詩です。この詩は、ニューヨーク市立大学のリハビリテーションルームに刻んであったものなんだそうです。だから、作者は不詳です。おそらく、ベトナム戦争で傷ついた若者が書いた詩であろうと言われています。

……「和解」という言葉は、ある意味たいへん重い言葉です。……その作業に向けて、芸術に何ができるのか。……どのような芸術なら力を持ち得るのか。……ここで、もうひとつ物語を朗読します。……宮澤賢治、「竜と詩人」。

音楽の調子が変化する?。
俳優により、「竜と詩人(宮澤賢治)」が自由に語られ、演じられる(約一〇分)。

竜のチャーナタは、洞穴の中にいた。
洞穴の中へさして来る上げ潮から、体をうねり出した。
洞穴の隙間から朝日がきらきら射して来て、水底の岩の凹凸をはっきり陰影で浮き出させ、また、その岩に着くたくさんの赤や白の動物を写し出した。竜のチャーナタはうっとり、その青く少しおぼろな水を見た。それから洞穴のすきまを通して、火のようにきらきら光る海の水と、浅黄色(あさぎいろ)の空の端にかかる火球日(かきゅうにっ)天子(てんし)の座を見た。

竜 おれはその幾(いく)千由旬(せんゆじゅん)の海を自由に泳ぎ、その清い空を、絶え絶え息して、黒雲を巻きながら翔けれるのだ。それだのに、おれはここを出て行けない。この洞穴の外の海に通ずる隙間は辛(から)く、外をのぞくことができるに過ぎぬ。……聖竜王、聖竜王、わたくしの罪を許し、わたくしの呪いをお解き下さい。

竜のチャーナタは、悲しくまた洞穴の中を振り返り見た。日光の柱は水の中の尾ひれに射して、青くまた白くぎらぎら反射した。

  ・

そのとき(あるとき)、竜のチャーナタは洞穴の外で人間の若々しい声が呼ぶのを聞いた。

詩人 敬(うやま)うべき老いた竜チャーナタよ、私は詩人のスールダッタと申します。朝日の力を借りて、私はそなたに許しを乞いに来ました。

チャーナタは外をのぞいた。
瓔珞(ようらく)を飾り、黄金(きん)の大刀(たち)をはいた一人の立派な青年が、外の畳石の青い苔に座っていた。

竜 何を許せと言うのか。

チャーナタがそう問いかけると、青年は語り始めた。

詩人 竜よ、昨日の詩賦(しふ)の競いの会に、私も出て歌った。そして、みんなはたいへん私を褒めた。一番偉い詩人のアルタは、座を降りて来て、私を礼して自分の高い座にのぼせ、草(くさ)蔓(つる)を私にかぶせた。そして、私を褒める歌を歌い、彼は遠く東の方の雪ある山のふもとに去った。そのあと、私は車に乗せられた。その日の私は、私の歌った歌の美しさに酒のように酔って褒めるみんなの言葉や、私を埋める花の雨に我を忘れて胸を鳴らしていた。ところが、夜も更(ふ)けたときだった。私が長者のルダスの家を辞して、きらきらした草の露を踏みながら、私の貧しい母親のもとに戻るときだった。月(がっ)天子(てんし)の座に瑪瑙(めのう)の雲がかかり暗くなったので、それを振り仰いでいたら、誰かミルダの森でこうひそひそ語っているのを聞いた。「若者のスールダッタは、洞穴に封ぜられている老竜チャーナタの歌を盗み聞いて、それを今日、歌の競(くら)べに歌い、古い詩人のアルタを東の国に去らせた」。……私はどういうわけか足が震えて思うように歩けなくなった。そして、昨夜(ゆうべ)一晩、そこらの草原(くさはら)に座ってもだえた。考えてみると、私はここに、そなたのいるのを知らないで、この洞穴の真上の岬に毎日座り、考え、歌い疲れては眠った。そして、あの歌は、ある雲暗い風の日の昼間のまどろみの中で聞いたような気がする。そこで、老いたる竜のチャーナタよ、私は明日から灰をかぶって街の広場に座り、お前とみんなにわびようと思う。……あの美しい歌を歌った尊ぶべき我が師である竜よ、そなたは私を許すだろうか。

すると、竜のチャーナタはこう質問した。

竜 スールダッタよ、東へ去った詩人のアルタは、どういう歌でお前を褒めたろうか。

スールダッタが答えた。

詩人 私はあまりのことに心が乱れて、あの気高い韻を覚えなかった。けれども多分は、「風が歌い、雲が応じ、波が鳴らすその歌を歌うスールダッタ、星がそうなろうと思い、陸地がそういう形をとろうと覚悟する、明日の世界にかなうべき誠と美との模型をつくり、やがては世界をこれにかなわしむる予言者、設計者スールダッタ」……と、こういうことであったと思う。

竜はしばらく考えたあと、こう言った。

竜 尊敬すべき詩人アルタに幸あれ。

それから、スールダッタに向かって、こう話し始めた。

竜 スールダッタよ、あの歌こそは私の歌で、等しくお前の歌である。
詩人 ……あの歌こそは私の歌で、等しくお前の歌である?
竜 いったい私はこの洞穴にいて、歌ったのであるか考えたのであるか。お前はこの洞穴の上にいて、それを聞いたのであるか考えたのであるか。……おお、スールダッタ、そのとき私は雲であり風であった。そして、お前も雲であり風であった。詩人アルタがもしそのときに瞑想すれば、恐らく同じ歌を歌ったであろう。けれども、スールダッタよ、アルタの言葉とお前の言葉は等しくなく、お前の言葉と私の言葉は等しくない。この故にこそ、あの歌こそはお前の歌で、また、我々の雲と風とを御する、その精神の歌である。
詩人 あの歌こそは私の歌で、また、我々の雲と風とを御する、その精神の歌である。……おお竜よ、それなら私は許されたのでしょうか。
竜 誰が許して、誰が許されるのであろうか、我らが等しく風で、また雲で、水であるというのに。
詩人  我らは等しく風で、また雲で、水である……。

詩人が繰返してつぶやくと、竜が言った。

竜   スールダッタよ、もし私が外に出ることができ、お前が恐れぬならば、私はお前を抱き、また撫(ぶ)したいのであるが、今はそれができないので、私は私の小さな贈り物だけをしよう。さあ、ここに手をのばせ。

竜はひとつの小さな赤い珠(たま)を吐いた。その中で幾億の火を燃(も)した。

竜 その珠は、埋もれた諸経をたずねに、海に入るとき捧げるのである。

スールダッタはひざまずいてそれを受けて、竜に言った。

詩人 おお竜よ、それをどんなに私は久しく願っていたか。私はなんと謝していいかを知らぬ。……しかしながら、力ある竜よ、何故(なにゆえ)、そなたはこの洞穴を出でぬのであるか。

竜が答えた。

竜 スールダッタよ、私は千年の昔、はじめて風と雲とを得たとき、己の力を試みるために人々の不幸を来たしてしまった。そのために、竜王から十万年この洞穴に封ぜられて、陸と水との境を見張らせられたのだ。私は日々ここにいて罪を悔(く)い、王に謝する。

スールダッタが言った。

詩人 おお竜よ、私は私の母に侍(じ)し、母が首尾よく天に生まれたらば、すぐに海に入って大経を探ろうと思う。そなたはその日までこの洞穴に待つであろうか。

竜が言った。

竜 おお、人の千年は竜にはわずかに十日に過ぎぬ。
詩人 さらばその日まで、竜よ、この珠を持っていて下され。私は来れる日ごとに来て、空を見、水を見、雲をながめ、新しい世界の造営の方針をそなたと語り合おうと思う。
竜 おお、老いたる竜の何たる喜びであろう。
詩人 さらばよ。
竜 さらば。

スールダッタは、心明るく岩をふんで去った。
竜のチャーナタは、洞穴の奥の深い水に体をひそめた。
そして、静かに懺悔の歌を唱え始めた。

上手エリアの明かりが消える。
俳優、退場。
音楽家の演奏が続く?。

4 みみをすます

約一〇分間(もしくはそれ以上)、画家と音楽家のみの作業が続く?。

絵画、ほぼ完成。→ 画家による合図。→ 最終作業。

俳優、登場。
上手エリアが明るくなる。

俳優 ……さて、今夜のパフォーマンスの終着点が近づいてきたようです。……ここで、もうひとつ詩を朗読します。……谷川俊太郎、「みみをすます」。

俳優により、「みみをすます(谷川俊太郎)」が朗読される(約七分)。

みみをすます/きのうの/あまだれに/みみをすます

みみをすます/いつから/つづいてきたともしれぬ/ひとびとの/あしおとに/みみをすます/めをつむり/みみをすます/ハイヒールのこつこつ/ながぐつのどたどた/ぽっくりのぽくぽく/みみをすます/ほうばのからんころん/あみあげのざっくざっく/ぞうりのぺたぺた/みみをすます/わらぐつのさくさく/きぐつのことこと/モカシンのすたすた/わらじのてくてく/そうして/はだしのひたひた・・・/にまじる/へびのするする/このはのかさこそ/きえかかる/ひのくすぶり/くらやみのおくの/みみなり

みみをすます/しんでゆくきょうりゅうの/うめきに/みみをすます/かみなりにうたれ/もえあがるきの/さけびに/なりやまぬ/しおざいに/おともなく/ふりつもる/プランクトンに/みみをすます/なにがだれを/よんでいるのか/じぶんの/うぶごえに/みみをすます

そのよるの/みずおとと/とびらのきしみ/ささやきと/わらいに/みみをすます/こだまする/おかあさんの/こもりうたに/おとうさんの/しんぞうのおとに/みみをすます

おじいさんの/とおいせき/おばあさんの/はたのひびき/たけやぶをわたるかぜと/そのかぜにのる/ああめんと/なんまいだ/しょうがっこうの/あしぶみおるがん/うみをわたってきた/みしらぬくにの/ふるいうたに/みみをすます

くさをかるおと/てつをうつおと/きをけずるおと/ふえをふくおと/にくのにえるおと/さけをつぐおと/とをたたくおと/ひとりごと

音楽が消えている……。
音楽家も、いつのまにか退場している。

うったえるこえ/おしえるこえ/めいれいするこえ/こばむこえ/あざけるこえ/ねこなでごえ/ときのこえ/そして/おし/・・・

みみをすます/うまのいななきと/ゆみのつるおと/やりがよろいを/つらぬくおと/みみもとにうなる/たまおと/ひきずられるくさり/ふりおろされるむち/ののしりと/のろい/くびつりだい/きのこぐも/つきることのない/あらそいの/かんだかい/ものおとにまじる/たかいびきと/やがて/すずめのさえずり/かわらぬあさの/しずけさに/みみをすます

(ひとつのおとに/ひとつのこえに/みみをすますことが/もうひとつのおとに/もうひとつのこえに/みみをふさぐことに/ならないように)

絵画はすでに完成している?。
画家、上手の舞台上に移動。
絵画を見つめる画家の姿が浮び上がる。
画家、退場。
遅れて、画家を照らしていた明かりが消える。

みみをすます/じゅうねんまえの/むすめの/すすりなきに/みみをすます

みみをすます/ひゃくねんまえの/ひゃくしょうの/しゃっくりに/みみをすます

みみをすます/せんねんまえの/いざりの/いのりに/みみをすます

みみをすます/いちまんねんまえの/あかんぼの/あくびに/みみをすます

みみをすます/じゅうまんねんまえの/こじかのなきごえに/ひゃくまんねんまえの/しだのそよぎに/せんまんねんまえの/なだれに/いちおくねんまえの/ほしのささやきに/いっちょうねんまえの/うちゅうのとどろきに/みみをすます

俳優、下手の端に移動している……。
明かりにより、俳優の姿が浮かんでいる……。

みみをすます/みちばたの/いしころに/みみをすます/かすかにうなる/コンピューターに/みみをすます/くちごもる/となりのひとに/みみをすます/どこかでギターのつまびき/どこかでさらがわれる/どこかであいうえお/ざわめきのそこの/いまに/みみをすます

みみをすます/きょうへとながれこむ/あしたの/まだきこえない/おがわのせせらぎに/みみをすます

俳優、退場。
遅れて、俳優を照らしていた明かりが消える。

無音の中、完成した絵画が印象を強めて浮び上がる。
「光の十字架」が加わった後、ゆっくりと暗転。


5 カーテンコール

音楽?。

明転後、画家、俳優(ハンドマイク)、音楽家、登場。
あいさつ(トークあっても結構)。

MCの声。

MC これをもちまして、パフォーマンスを終了致します。どなた様も、お忘れ物のございませんよう、お気をつけてお帰り下さいませ。本日は、誠にありがとうございました。
……また、只今、「マコト・フジムラ展」を世田谷区深沢、潺(せん)画廊におきまして、一二月二五日まで開催しております。どうか、皆様、是非ご来場下さいませ。
……本日は、ご来場、ありがとうございました。

土曜日, 11月 12, 2005

パフォーマンス・アート





12月のパフォーマンス・アートについて、又、潺画廊での個展についてある芸術新聞の記者からの質問にこのように答えました。

「ふりかえってみると、私には『希望』とは何か、そして『アート』とは何か、という問いかけを作品を通して聞いているように思います。アメリカ、日本の文化に流れている要素を取り入れながらも、私の求めている『国籍』はそれをも超えているかもしれません。又日本画の材料に秘めされた神秘を捉えようとした作品とも言えるかもしれません。これは、独特な表現を求める戦いの過程でもあると思います。」

潺画廊での個展、又、和泉ちぬさん、Mamoruとのコラボレーションの情報はhttp://www.sengarou.co.jp/sengarou/next.htmにどうぞ。

アンディー・ゴールドワージ、クリストとジーン・クロウドの芸術は新しいパラダイムを生み出していて、私にとって、21世紀の芸術はコラボレーション、環境芸術、またアーバン・デザインはこれからの芸術になっていくように感じます。コラボレーションとは、このような、一人ではできない世界を追求する形でもあるでしょう。芸術はすべてコラボレーションとも言えます。日本画は紙を漉く伝統、岩絵の具を砕く芸術とのコラボレーションです。アメリカのジャズの伝統コラボレーションの最高の芸術であり、その影響も私のこれからの作品を左右していくかとも思います。

土曜日, 9月 17, 2005

「水の炎」オープニング



新しい画廊、Sara Tecchia Romaがオープンしました。私の展覧会が最初の展示で、壁の色から、ビデェオルームまで、ちょっとユニークな雰囲気です。チェルシーを訪ねることがあれば、ぜひご覧になってください。529 West 20th Stで画廊でいっぱいの建物です。


マコトフジムラ、オープニングからのシーンです。


マコトフジムラ

水曜日, 8月 17, 2005

水の炎



現在、ニューヨーク、チェルシーのサラ・テキア・ローマ画廊での個展の準備をしています。オープニングは9月15日で、展覧会のタイトルは”Water Flames”「水の炎」。

写真の作品”The Fire and Rose are One”は2003年に制作した「四つのカルテット」のシリーズです。「四つのカルテット」はT.S. エリオット(20世紀イギリスの詩人)の詩に描かれている世界を視覚化したものです。今回の「水の炎」は13世紀のダンテの「神曲」を視覚化した作品ですが、この二つのシリーズには密接な関連があります。

実はエリオットの晩年の詩にはダンテからの引用が多く、時を超えた思想の流れを感じます。「神曲」は主人公が地獄から天国に歩む旅を描いたものですが、そこには、人の力を超えるスピリチュアルな世界と、日常のなまなましい歩みの両面が捉えられています。エリオットは20世紀の戦争の荒地の中、その旅を体験しその暗闇を通して尚も希望を見いだす力を「四つのカルテット」に描いています。

日本画の材料(朱、金など)を使って描く炎は日本の伝統にもつながっていて、平安時代(12世紀)の地獄草子や速水御舟の「炎舞」からもインスピレーションを得ました。今回の「水の炎」は 炎の持つ神秘的なエッセンスを抽象的にとらえようと試みた作品です。

9/11の惨劇を実際に体験した私にとって「グラウンドゼロ」からの表現が一つのアプローチでもあり、広島、長崎の丸木夫妻のイメージもさけることはできません。また、最近あるオペラのコラボレーションに用いた、広島原爆公園の炎のスケッチも作品に反映しています。しかしこれは、光に満ちた炎を描く過程であり、ダンテ、エリオットの歩んだ道にも重なるものです。

「水の炎」は金泥を使った作品のため、特別な「羊羹」(ようかん)色の雲肌麻紙を漉いてもらいました。水をもって描く炎は芸術そのものがパラドックス(逆説的)であることも表しています。 聖カテリーナ(14世紀)は「天国の炎と地獄の炎は同じ」といいました。炎は人類の恐れる力であり、また同時に希望を与える光でもあるのです。

木曜日, 5月 19, 2005

シャングル・ラ


The Kitchenでのコラボレーションも無事終わった。 シャングル・ラというモダーンオペラのコラボレーションである。終わったといっても、オペラの前半をステージ化させる”Works in Progress”(途中段階でプレゼンテーションする)という、ユニークな企画でもあった。The Kitchenとはニューヨークのチェルシーにある前衛音楽/劇の舞台であり、フィリップ・グラスやローリ・アンダーソンなどデビューした場である。ブラック?ボックス?シアターと呼び、わざと親密感のあるスペースを新しい表現のきっかけとなるように芸術家に与える。

このコラボも思いがけない切掛けで参加する事になった。 The Kitchenのファンドレイジングパーティ-に出席したジュディーと私は、その中で、何人かの芸術家に出会った。そのパーティーでもパーカッションをベースにする前衛作家、スージー・イバラ氏が演奏する事になっていた。そのアナウンスがされ、私はそのギャラリーの奥に彼女が演奏の用意する場をみていた。パーカッションといってもジャズのバックグラウンドを持っているという紹介だったので、ドラムでソロをするのだろうと思っていたが、そうではなかった。彼女は紹介が終わると、ひととき静まり、その周りに小さな太鼓のようなものをいくつか並べ、それを素手でたたき始めた.叩くというよりか、撫でている用であった.そしてドラムスチックを持ちながらも、そのケイデンスはなにか森の奥で響くキツツキのように聞こえた。

その後、私のニューヨークでの個展に、彼女が突然訪ねてくれた.そのとき彼女からいただいたcdを聞くと、何か不思議な音楽に思えた.彼女の音が私にとって「見える」のである.音楽を聴くというよりも視覚的な体験である.それを彼女にいったら、彼女は「私はニューヨークに16歳のときにきたときは画家になろうと思っていたのよ、」と恥ずかしそうに語ってくれた.しかし、ピアノを小さい頃から学んでいた彼女はマンズ音楽学校に行き、その後ドラマーとしてジャズの世界に導かれたという。

その彼女がこのシャングル?ラを作曲するのも、ある詩人を知りあった事にあった.ユーセフ・クミナーヤという、アメリカの文学で最高の名誉であるプリッザー賞も取っている詩人である.彼女の音楽と彼自身の詩を読む低い声が響き合う。ミシシッピー州で育った彼の声には、アメリカの南の文化に流れるブルーズの流れが感じられるが、内容はアメリカの社会的問題をよくテーマにする。ベトナム戦争を生に体験している事もあり、深刻な悲しみと思いが感じられる詩である。

ユーセフはベトナムに行く途中にタイのバンコックに一夜滞在したとき、そのあるバーで売春女たちが、スプリームズの歌を歌っている異様な姿を見たという.バンコックという背景には売春はもちろん、ティーンエージの女の子を売買するセックス・トレード、そして、その裏には隠されているエーズの感染問題に満ちる場である。つまり、表はシャングル・ラ(天国)であるが裏は地獄であり、ユーセフはこれをこの作品で捕らえたかったという。その主人公はMetaphysical Detective (形而上探偵刑事)であり、そのバーにある行方不明者を探しにいく。

スージーにとってもオペラを手がけるのは初めての挑戦だという.しかし、その何百枚にわたる楽譜は、既に「聞こえてくる音を書き落としたでけ」という.ユーセフの詩はリズム感 があり、そのイメージとケイデンスが直接音楽になっていくという.しかしいくらその自然的にでる感覚が流れていても、12人の音楽家、6人のオペラ歌手を通して実現するオペラはそんな容易にできない.彼女は2ヶ月ほとんど眠れず、しかし「どういう訳だか、深夜の2時になると、ある音が聞こえてくるのよ」と言い、作曲を続けたという。

私の役割はその音楽とストーリーを視覚的にプレゼンテーションする事だったが、それも不思議に抵抗なしに音楽から流れるビジョンに従っていく作業であった.ダンサー/コリオグラプァーのマライヤ・マローニーさん(トリッシャ?ブラウンで活躍しているダンサー)氏とコラボレーションで造っていった。それは歌手の動き、特徴と部分の流れを総一できるように進めていった。映像をプロジェクションする事になったのだが、ブラック・ボックスだという事で、そのまま黒い壁に映像を流した.そして、もう一カ所天井からプロジェクターを吊るし、白い衣を着た歌手の上から、”Nagasaki Koi”の最後の部分、鯉が長崎の原爆地域で泳いでいるビデェオを流した.

私はこの間、佐藤美術館でレクチャーをしたとき「21世紀の芸術はコラボレーションに尽きる」とも語ったが、この体験を通して、その思いが最も強くなっている.この秋も横浜のバンクアートでサウンド・アーティストのMamoruと役者の和泉ちぬさんと、コラボレーションを予定している。

著者であり、ビレッジ・ヴォイスの評論家であるナット・ヘントフ氏はコラボレーションとはジャズのランゲージでもあり、その裏には、民主主義のエッセンスが流れていると語る。それは、平等という立場からあるビジョンに向かっていく体制で、一人一人の存在が尊重され、個人の違いも全体の中で、響くあうものであり、個人芸ではない、チームワークとなっていく世界である.そのチームの選択は難しい、そして、お互いを尊重する心がないとできない.しかしこれは、あるレベルのものが、エリート意識を持って行う作業でもない.私は、ホワイトハウス文化顧問として、毎年行われる、N.E.A.ジャズ・マスターズという賞の受賞者を選ぶ体験をさせていただいているが、その授賞式にあの有名なデーブ?ブルーベック氏が二人のティーン・エージャーとコラボ/インプロブをする姿を体験した.90歳にもなる大芸術家が,舞台の上で二人のティーン?エージャーに眼のしぐさでコミュニケートし,そのパフォーマンスを通してその二人を励まし,チャレンジを与える姿は美しく感じた。

民主主義もシャングル・ラの様に,表は天国のように見え,実際は地獄のような姿もある.しかし,アメリカの20世紀の暗闇の中に生まれたジャズのランゲージはこれからの私の視覚芸術の土台ではないかとも感じる。そこには真の人間性が流れ,新しい音がもう既に流れている。